【論】ニコニコとtwitterの関係で考えたこと2 ~繋がり~

さて、昨日に続きニコニコとtwitterの関係で考えたことを書いていこう。ちなみに今回の記事は新参者の私には分からなく、予想や推測で成り立っているものもある。読む際には気を付けてほしい。

早速本題に入る。

 

皆さんは合作やコラボ要請のときにはなにで要請しているだろうか?twitterではないだろうか。(ここでtwitterではない場合はこの記事は根本的に話が違くなるので読む必要はない)

 

ニコニコ好きの人たちは最近twitterでよく見かける。では、ニコニコ好きはみんなtwitterをやっているのか、というとそんなことはない。当然である。どの界隈でもtwitterをやってない人はいる。ここで私が思ったことは、twitterをやってない人はコラボしたくてもできないのではないか、ということだ。しかし、そんなこと言ったら初期のニコニコの時はどうしていたんだ、という話になる。予測だが、動画を見ていいなと思ったり、コラボをしてみたいと思ったらニコニコ上でコラボ申請をしていたんだと思う。そう、今と決定的に違うのはtwitterを介していないというところだろう。(もしかしてtwitterを介していたかもしれない。でも少なくともtwitter人口は少なかったと思うので、その体で話をすすめる)

つまり、ニコニコで繋がっているのとtwitterで繋がっているというのが、時代に伴って変わっているように感じる。

 

ではニコニコで繋がるのとtwitterで繋がるのは、何が違うの?という話になってくると思う。ここからが本題である。

 

ニコニコの繋がりとtwitterの繋がりの違いは、距離である。

 

私はtwitterは重過ぎると思う。というのも、twitterはネット上で現実を再現しているような感じに感じる。相手がフォロワーとしてそこにいる。界隈の中でも好きな人と嫌いな人で分かれることもある。あまりにも近い。その近さは、仲の良い人たちが作った内輪が散らばっているようにすら感じる。

 

ニコニコ上のつながりは、相手はどんな人かは全く知らないけど、自分と同じである物が好きな人という情報のみなのである。だからこそニコニコ上の繋がりは好きなものに向かって団結するということが容易くできる。気遣いなどいらないのだ。なぜなら知らないから。これは何度も言っているが、ニコニコは何次創作も可能なところが素晴らしい。例えば誰かが投稿したメドレー動画に影響を受けて、歌ってみたを投稿する。するとそれを見て乗っかる人が何人も集まり、合唱動画を誰かが作る。これはタグがあるからできることで、タグがニコニコのつながりと言っても過言ではないだろう。この繋がりは何のためらいもいらない。みんなの"好き"が同じ方向で、皆で楽しんでいるからだ。匿名だから責任を負わされることもない。好きな動画を好きに投稿すればいい。これがニコニコの繋がりである。

 

これからはtwitterとの共存が当たり前なので、この考えが行き渡るわけがない。その上うまくやれば共存しながら繋がることもできる。ただ、twitterやってないと分からない内輪ネタみたいなものがニコニコに出てtwitterをやってない方を困惑させてはいけないと思っている。ニコニコの繋がりも大切にしてほしい。